過去記事まとめ_5

2022年 7月17日


 

大人気ピンクパールブレスレット

 

女性の幸運を呼ぶ
「パールブレスレット」
前回ICHICOラインアット内で販売させて頂いて大好評大人気のピンクパール
パワーストーンは
欲しいではなく
石に呼ばれます
開運するに必要な意味を持った石に呼ばれるんです
それってね
開運するからこそ呼ばれるんですよ
楽しみすぎですね!

ピンクパールブレスレット


 

字は意味を持ち変化する

 

私は断然お手紙派で、お世話になった目上の方のお礼文は小筆を使い、お花を添えてお手紙をお渡しする事があります。
先日もお礼文を書いておりましたが、[難]という字で筆が止まってしまいました。
なぜならば
困難と書いた後に、有難うという字を書いて気が付きました。
同じ[難]という字。
今までは特に気に留めた事がなかったのですが、意味が逆なのに同じ字を使うんだなと改めて思いました。
難しい事柄に用いるこの[難]という字は
感動や感謝の言葉にも字にもなる。
ありがたいって難しい事なのかなと考えてみたら
感謝する出来事は実は簡単に起こった事ではなくて
今まで積み上げてきた事柄が反映されているんだろなとも思った。
何もなく感謝なんてない。
努力してきた事や、困難を乗り越えてこそ
心からの[有難う]がある。
仏教由来の[有難い]という字は
普段何気なく使っていたけど
実はとても尊い言葉であり、字なんだと痛感した。
メールだと読み流してしまうかもしれない字を
書きしたためる事で気付く事もあるなと
腕が筋肉痛でプルプル震える手で筆を持っても
気付けることは沢山あると思った。


 

夢を叶える人

 

夢を叶える人って
欲求という名の信念が強いなと感じます。
その信念を遂行する勇気と行動力や想像力こそ
夢を叶える道に一歩一歩近づいて行くんだと思うんですね。
思うのに発想もあるのに
その一歩を踏み出せない。
そんな相談も数頂きます。
とりあえず一歩進んでみたらとか
まずは出来るところからとか
理想論はあるけれど
それが功を奏して繋がる時もあれば
やはり上手く進めないと途中断念してしまう人もいる。
どちらも人生においては無駄な時間ではないんだけど
どうせだったら
勢い付いてる時にスタートを切るのも
モチベーションとしては悪くないのかもと思う。
全てがそうとは言えないけど
モチベーションが高いと波動っていう気の圧も高い
夢を叶える人ってそのタイミングが合ってる人が比較的多いと感じる
頑張るぞーっていう
その強い圧のままスタートを切ってるなと思う。
理論はわかるけどなかなか圧が上がらない
それって
無理にあげようとしなくても
人って必ずタイミングってある
だからそんな時は
今はスタートを切る時ではないんじゃないかとか
もしかしたら
これがきっかけというヒントで他にも何かあるんじゃないかな
って発想に切り替えたら
それは見えない将来への期待や楽しみに変わり
その得体の知れない高揚感が
楽しみとなって進もうとする圧を上げてくれる
夢を叶える人はきっと
強い信念の元
叶えるために知らずに発想を切り替えて模索していたり
信念があるからこそ
進める術を持ち合わせているのかなと感じる
あと重要なのは
信じる人を間違えない事
誰がどうとは言わないけど
これって本当大きいなって思う。
でも信念とタイミングさえ合えば
必ず誰でも夢は叶うと思う
無理しない無理しない
辛くても一人じゃない
まずは信念を持ってタイミングを待ちましょうね


 

過去の辛い思い出が消えない時

 

未だ記憶が消えずに
苦しんでいる方が結構いたりする
過去の辛かった出来事。
誰しも一度はありますよね
そんな経験。
いつになったら楽になりますかね
とか
今でも思い出してやりきれなくなる
とか
数頂く鑑定では
スッキリして進みたいのに進めないっていう
前向きな方からの相談が多いです。
気付きましたか?
前向きな方からの相談なんです。
どうしていつまでも辛いんだろう
いつになったら楽になるんだろう
前向きだからなんですよ。この発想って。
だって
進みたいから悩み苦しむ。
間違ってもマイナス思考なんかじゃない。
マイナス思考の人には、こんな発想ないんですよ
ただただ、あのせいだとかこれが悪いとか
何かのせいにする
でも、進みたいからこそ
苦しみ悩むんです。
未来を明るくしたいと思うからこその感情。
そんな可愛こちゃんは
苦しんだ分
必ずその数倍もの喜びが必ずやってきます。
だから
気持ちはわかるけど
自分は前向きなんだと
頭の片隅に置いて日々を過ごしましょう。
運気はそっちに向かって行きますよ。


 

裏切り

 

裏切りって残念な言葉だなぁって思います。
なんか響きが怖いなぁって感じるんですよね。
裏切りって色んな要素があると思います。
嘘や騙したや、知らんぷりしちゃったりとか
場面場面で様々な所に要素があると思います。
思うんだけど
裏切りって、どんな相手にもしちゃいけないよなって思うんです。
仕返しとかね
悔しくて砂かけたれーって思う事ってあるのかもしれない。
でも
結局は自分に返るんだから、わざわざ裏切りなんてしなくても
知らんぷりしてりゃいいと思う。
自分が相手を大切に思う事
ふりでもいいから思う事。
表面ではいい顔して声かけてくるのに
裏では悪口なんてね
残念だけど
そんな人もいるんだろうと思う。
そんな下世話な人にわざわざ裏切りなんてエネルギーを使うなら
見極めて信じていける人との縁を大切に
感謝しながら大切に
一日を過ごした方が結果
心が美しいままでいれると思う。


 

嘘という言葉の解釈

 

嘘をつかなければならない時って
生きていたら一度や二度はあるって方
少なくないんじゃないかなって思います。
勿論私もあります。
怒られるなぁと思った時や、バレたくないと思った時や
はたまた
恥ずかしさを隠そうとする時や、ここで喜びをあからさまにできない時や
様々な出来事に出くわした時
事実ではない、意に反した発言をしてしまう事ってあるかもしれない。
人間関係において
状況によっては、意に反する発言が必要になる時ってあると思うし
様々な状況で、その場を収めるためのその発言は
嘘ではなく
心を落ち着かせるための発言なんじゃないかと思う
嘘って、なんか重い言葉に聞こえるけど
誰かの心を落ち着かせたり
その場を和やかにする嘘は
嘘という柔らかい言葉なんじゃないかと思う。
嘘は人を傷つけるものではなく
人の心を和やかにしてくれる言葉の事を云うんじゃないかなって思う。
とは云え
発言は最後まで責任を持たなきゃならないから
嘘は嘘でも
責任ある嘘を付かなきゃならないんだな
嘘は嘘でも
色んな種類があるもんだ。


 

リラックスする事の意味

 

確かにリラックスする瞬間や時間は大切だと思う。
リラックスと簡単に言うけど、ここで云うリラックスは
何かをする前や、疲れた時
その前後に取る行動の前に、一拍空けるという意識を高める事。
毎回でなくても、気がついた時にそれをやる。
そういう癖をつけると言えばいいのか。
なぜなら
その一拍空ける隙間に新しい[気]が入ってくる
新しい[気]は
新しい流れを作ってくれる
だからそれまでの緊張感を持った波動を和らげてくれるんだな
一拍空ける事でいい流れを呼び起こす。
空ける必要がない時は勿論そのままで。
でも
なんかしっくりこない時は、新しい[気]を呼び起こすのも悪くないんじゃないかなって思うなぁ。


気を使いすぎる

 

そこまで気を使わなくてもいいのにっていう心ある方がいる。
こちらにしてみれば、安心できるしありがたいとも思える。
でもたまに
疲れないかなぁと感じる事がある。
根っからの気質という方と
様々な状況からそうなってしまった方と
両方の場合があるのかなと思う
前者の場合、そうしている事でバランスを保っているんだと感じる。
でも後者の場合は、果てに自分が疲れて人の顔色を見る様になってしまう場合もあるのかなと感じる。
ある意味どちらもそれでバランスを保っているのかもしれないけど、もし後者のパターンであれば
自分が辛くなるし、それを感じて相手も気を使ってしまうかもしれない。
で、それを見てまた自分が辛くなる。
知らずに辛さが増してしまい、自信さえ失ってしまうこともある。
気を使うって、どこかで線引きをしないと
丁寧に人に接したはずが
結果自分が辛くなる時があるっていうことを頭の片隅に置いてもいいのかなと思う。
自分が辛くならない様にっていう解釈がいいのかもしれない。


 

何処に向かっていいのか分からない時

 

自分が何をしたいのか
何処に向かっているのか
分からなくなる時
何もやる気が起こらず
朝の目覚めもなんだか重い
そんな時って不思議と肌艶が良くなかったりするし
声の張りもなかったりする
方向が掴めない時は
動く時では無いという暗示。
様々な出来事があり
今がある。
やる気が起こらないなら仕方がない
流れに任せるしかない
それでも何かしなきゃと焦るのは
自分が分からなくなっているからではなく
一旦立ち止まってごらんという事かも。
わからない答えを模索しても、ますますわからなくなるんじゃないのかな。
だってわからないから答えが出ない。
立ち止まって一旦リセットすると
気のエネルギーもリセットされる。
健やかな気という波動は、新しい波動を呼ぶんだな。
そうすればまた、そこに新たな発見や出来事がやって来る
だから自分が分からなくなった時は無理に進もうとせずに、新たな道が来る前触れと捉えたらいいんじゃないかなって思う。


 

暗示を掴み取る

 

前に進む時って
不思議と暗示みたいな事ってやってくる
これって
気付ける人と、私みたく、?まぁいいかって見過ごしてしまう人もいる(笑)
後から後から、そういえばあの時こんなことあったなぁ。あれは暗示だったのか!って初めて気付く。
これね
見過ごすのを繰り返しているからといって、残念と思う事もなければ、後悔する事でもない。
気付けなくても暗示ってここで終わりではないんですね。
またタイミングに合わせてやってくる。
かといって、アンテナを張って待ち構える事でもない。
見過ごした事に気付けた事自体が
次の暗示を掴めるヒントになっていくんです。
何度も気付けなくても
掴めなかったヒントを得ている事が大事なんです。
それを繰り返していくと突然気付けたりする。
だって
ヒントを得たという事は、その時点でアンテナを張り出すから。
だから、気付けなくても気付けたという事をヒントにしていれば
そのアンテナに気付ける暗示が引っかかる。
それを繰り返していくと
段々暗示を掴めるようになるんですね。
ここで絶対に気をつけたいのは
気付けなかったぁ!勿体ない!
っていう欲を出してはならないという事です。
欲はね
神様が一番嫌う行為なんだって。
私は宗教家ではないけど、この言葉って納得するなぁって思うなぁ。

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